ワークショップに参加したり運営したりする理由として
良いサービスが世に出る手助けしたいってのはもちろんあるけど
サービスづくりに携わるあらゆる関係者の
労力やコストを無駄にしたくないって想いが自分にとっては大きい気がする。
もしかして、その一生懸命取り組んでるものは無駄かもしれない?
に早く気づいて止めたり大きく舵を切るのも大事で
その判断を早めにできるなら泣きを見る人が減る。
しかしながら
そこに突っ込んでいくには、まだまだ修行が足りないなと感じるところ。
ワークショップに参加したり運営したりする理由として
良いサービスが世に出る手助けしたいってのはもちろんあるけど
サービスづくりに携わるあらゆる関係者の
労力やコストを無駄にしたくないって想いが自分にとっては大きい気がする。
もしかして、その一生懸命取り組んでるものは無駄かもしれない?
に早く気づいて止めたり大きく舵を切るのも大事で
その判断を早めにできるなら泣きを見る人が減る。
しかしながら
そこに突っ込んでいくには、まだまだ修行が足りないなと感じるところ。
患者が症状を言うがままに大量の薬を処方するのと、
きちんと耳を傾けて問診・触診して症状の根源に近いものにあたりをつけて
必要なだけの薬を処方することの違いは大きい。
医療も、自分たちが関わる制作のお仕事も、
言葉の奥にある問題の根本を探る姿勢があるかどうかが大事だし
そういう点でコトに対処する姿勢には通づるところがある、と
母との雑談をしながら、ふと考えた。
自分が何したいのか、何をしたくないのか定まってないと
どの組織にいても不満を感じてしまうんだよなぁ、と
過去の自分を振り返って。
自分の落ち着く場所、落としどころが見えてくると
じゃ、持てるカードでどう動くかを考え始められる。
ブラック企業が云々、というやり取りを傍目で見ながら
そんなことをぼんやりと考えてた。
どうにもならない環境ってのも確かにあるけど
組織や他人を責める前に
果たして自分はどうしたいのか
心が定まってるか自問自答しよう。
人と話すと、ボンヤリしてたものが見えてくるのってある。
いいなと共感した商品やサービスを、仕事で得た技術を使って広く伝えることも
自分の頭にあるものを何とか引きずり出し表現することも
どっちも好きなんだな、私は。
…と、たまにはレポートじゃない個人的な気持ちとか書き留めようかな。